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大阪地方裁判所 昭和34年(わ)1061号 判決

被告人 額田泰彦

昭一二・一〇・一三生 無職

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収してある刺身庖丁一丁(昭和三四年裁領第一九七号の六)を没収する。

理由

(被告人の経歴並びに犯行に至るまでの経過等)

被告人は昭和二〇年五月一二日ごろ(当時七才)戦火のために父を失い、次いで昭和二一年四月ごろ母が病死するに至つたので、その後姉、妹とは別々に父の姉額田静江、父の妹二木好江等のもとに引取られて育てられ、この間約三年にわたつて岡山の孤児施設に収容されたりした後、中学校を一年生一学期限りで自然中退したまま、昭和二八年三月初めごろ右おば静江の世話で大阪市東成区○○○○丁目○○番地Aに預けられ、同人の経営するA鉄工株式会社に職工見習として住込み勤務するようになつた。

右A方において被告人は初めのうちはすなおにまじめに働いて主人にも喜ばれていたが、昭和三一年初めごろから飲酒をおぼえ、次第に日常の生活態度が悪くなり、仕事を怠けたり粗暴なふるまいがみられるようになつたので、Aも被告人の監護、処遇には心を痛めるようになつて来ていた。一方この間被告人も、主人Aが頑固で口やかましく、仕事の上でもときどき被告人をぼろくそに叱りつけ、その言分を聞き入れてくれないこともあるので、次第に同人に対して反感をいだくようになり、また、同人の家族である妻B及び長女C以下六人の娘達に対しても、同女等がいずれも見識高く被告人を小馬鹿に扱うと感じてよい感じを持たなかつた。なお被告人は、それまでA方において、最初のうちは食事付で一ヶ月金三〇〇円程度の小づかいを、最近では一ヶ月約金六、五〇〇円の給料(食費金三、〇〇〇円込み)の支給を受け、見習工として働いていたのであるが、昭和三十三年三月三日ごろ約束の四年間の年季が明けたので、一人前の職人として扱われるものと信じ、そのころAに問いただしたところ、四月になつてからだと言われて失望したが、その場はそのままあきらめ約一ヶ月先の年季明けを期待して日をすごしていた。

その矢先同月一三日夜、仕事が終つた後、被告人は工場裏の工員寝室で同僚の見習工職人等数人とともに酒を飲み午後十時半ごろまで何度もA方本宅の玄関から出入したため、主人Aの三女D(当時二三才)に強くたしなめられたところ、酒の勢も手伝つて、前記のとおり平素からA及び同女等に対して抱いていた反感が一時に爆発し、女のくせに生意気だと同女に食つてかかり、そのばにかけつけた二女E(当時二四才)に対しても、そばにあつた裁縫用火ごてを振廻して打ちかかる乱暴を働き、このため翌三月一四日主人Aから同月分の給料及び一ヶ月分の予告手当合計金一〇、八〇〇円を与えられたうえ「お前ににくまれる筋はない。よそへ行つて俺のところが良かつたか悪かつたかよく勉強して来い」と解雇されてしまつた。

被告人は右解雇がはなはだ冷酷な仕打に感じられ、安い給料で働かすだけ働かして満足な退職金もくれずに、と思うにつけ、同人に対する憤満はつのり、いつそひと思いに同人を殺害してその恨みを晴してやろうかとも考え、同日夜には刺身庖丁を買求め、同僚に「おやじを殺してやりたい」と庖丁を出してみせたりしたが、実行すればこれまで世話になつたおば静江その他の身内の者に迷惑をかけることになると考えて、なかなか殺害実行の決心がつかず、いらいらした末布施市内の前記おば額田静江方におもむき「がまんならん」と板の間に右庖丁を突き刺したりして怒りをぶちまけ、わずかに自分の気持をおさえていたが、遂にAに対する復讐ができないならむしろ自己の生命を絶つて心の苦しみから逃れようと考え、翌三月一五日同僚北川方で睡眠薬を嚥下して自殺をはかつたが、発見されて未遂に終つた。その後も右悩みはたちがたく自棄気味となつて、前記給料やそれまでA方で積立てた貯金二〇、〇〇〇円等を飲酒、女遊び等に乱費し一時の快楽を追い、同年三月二七日には残金もなくなつたので、午後四時ごろ大阪市外国分方面の野原で睡眠薬を服用して再度自殺をはかつたが、この時も通行人に発見されて未遂に終つた。

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三二年三月二八日午後四時ごろ大防市生野区新今里一丁目九五番地のおば二木好江方において右自殺の睡眠薬がきれて目をさましたが、Aのこれまでの仕打や自分の現在の境遇を考えると、A一家の者にあざわらわれているように感じられてたまらず、ついにここにおいてAをひと思いに殺害し、かつは同人から金品をとりあげて自己の退職金にあてその恨みを晴らしてやろうと決意するに至つた。

かくして同日午後八時過ぎごろ右二木方を出、途中刺身庖丁一挺(昭和三四年裁領第一九七号の六)を買求めて準備し、平素Aが妻とともに娘たちとは別に寝泊りしているはずの、大阪市東成区○○○○丁目○○番地所在のA新宅に向い、附近で清酒を二口ほど飲んで元気をつけたうえ、同日午後一〇時半ごろ同家に入り、廊下から同家八帖の間のガラス障子を開けたところ、そこには予期したA夫妻の姿が見当らず、案に相違して二女E及び四女F(当時二一才)が驚いて立つたいた。思い掛けない事態にはつとした被告人は、右Eに「おやじはどこに行つた」と問うたところ、同女は「知らん知らん」と大声をあげ、これに対して被告人が静かにせよと言いつつ突きつけた刺身庖丁を奪おうとしてその刃を握つたため、同女の掌が切れ、さらに大声を立てたので、被告人は近所に聞こえるような気がしてかつとなり、とつさに同女を殺害しようと決意し、右庖丁で同女の右胸下部及び腹部を二回突きさし、さらに逃げようとする同女の後から右背部を一回突きさしてその場に倒し、よつて右三個の刺創に基く大出血のため即時同女を出血失血死に至らしめて殺害し、次いで落付を取戻した被告人は右新宅内から金品を強取して逃走の資金にあてようと決意し、恐怖のあまり立ちすくみなんら反抗のすべを知らないFに対し「金はどこにあるか」と尋ね、同女が知らんと答えるや、同女の前記状態に乗じ之を姦淫してはずかしめ、A一家に対する恨みを晴す一端にしようと決意し、同女を同家六畳の間に引張りこみ、前記庖丁を畳の上に突き立ててから同女をそこに敷いてあつたふとんの上に押し倒し、ズロースを引下して上に乗りかかり、強いて同女を姦淫し、続いて恐怖のためなすすべを知らないでいる同女をよそに室内押入内等を物色してA外一名所有のラジオ一台、柱時計一個及び男物合オーバー等衣料品雑品一〇点(時価合計約四一、九〇〇円相当)の強取を遂げ、引続き自己の逃走を安全ならしめるべくFを殺害せんことを決意し、前記六畳間ふとんの上で、近くにあつた日本手拭(昭和三四年裁領第一九七号の一及び三)を同女の首に巻きつけて締め殺そうとしたが、これが切れたので、ただちにそばにあつた電気こたつのコード(前同号の二)を同女の首に巻いて締めつけ、よつて同女をして即時同所で窒息死に至らしめて殺害したものである。

(証拠の標目)(略)

(主張に対する判断)

検察官は、被告人は当初からA夫妻を殺害して恨を晴らし、あわせて金品を強取すべく、その目的を以てAの新宅に赴き本件犯行に至つたものであるから、現場において最初になされたEに対する殺人についても強盗殺人の罪を以て論じなければならない。と主張する。被告人が本件犯行現場に赴いた目的につき、被告人自らは、犯行直後である昭和三二年三月二九日早朝警察に自首して以来数日の間は、Aに対する恨みを晴らすべくもつぱら同人を殺害するために行つた旨警察官に対して供述し、次いで同年四月二日ごろ以降の捜査段階においては、警察、検察庁を通じて、あるいは「四年間も使つて職人にもしてくれず、やめる時一文もくれないおやじが憎くて仕方がなく、殺して金や何か金目の物を盗つて逃げてやろうと思つた」とか、あるいは「おやじを殺せば奥さんも目をさますので奥さんも殺すことになるだろう。そうしたらどことも当はないが逃げられるだけ逃げよう。そのためには金や金目になるものを盗んで逃げる費用にしよう(と考えて行つた)」とか、あるいは「四年間親方のところで一生懸命働いたのにくびになつたときには一万円余りしかくれませんでしたし、親方はこの金は給料の勘定だと申していましたし、すでにもらつた金のほかに退職金ももらう権利があると思つていましたので、親方夫婦を刺殺した後退職金がわりにあるだけの金を持つて逃げようと考えたのです」等と述べ、Aの殺害のほかにあらかじめ現場において財物を奪取することをも計画して行つた(もつともこれら以外にさらにAの妻Bをも殺害するつもりであつたことを認めているわけであるが、同女に対する殺害は、同女がAと新宅において寝泊りをともにしているから同所に赴いてAを殺害する以上平素反感を持つている同女の殺害もまた止むなし、というのが主な動機であつて、それ以上に強い決意を抱いていたと認めるに足りる証拠はないから、この点は本論点上重要性がなく以下においても触れないこととする。)趣旨を自認するようになつていたところ、差し戻し前の第一審公判廷においてはこの後者の趣旨をひるがえし、A方に赴いたのはAに対する恨みを晴らすべく同人を殺害するためにこそであつて最初から財物を奪取するという意図はなく、このような考えは現場においてEを殺害して後はじめて持つようになつたものである、との趣旨の供述をするようになつた。しかるに当審第五回公判期日に至るや被告人は公判廷においてこの点に関する供述を三転し、現場に赴いたのはAをおどかして退職金を出させるためであつて同人等を殺害する意図はぜんぜんなかつた旨供述している。このようにこの点についての被告人の自供は実にめまぐるしく変転しているのであるが、結局当裁判所が全証拠によつて認定したところは前記事実記載のとおりであつて、A等を殺害する意図はなかつた旨の被告人の当公判廷における供述を採用しないのはもちろんのこと、一方被告人があらかじめ財物奪取の意図をも持ちあわせていたという事実を決して否定するものではない。

しかしながら、前掲各証拠を綜合すれば、被告人のA殺害の決意は同人に対する深い恨みを晴らさんがためにこそなされたものであつて、先に財物を奪取してこれを退職金にあてようとする意図があり、その手段として右決意をしたものでないことは明らかであり、また退職金をとりあげるということ自体も、Aから解雇されたことによる深い恨を晴すための一つの附随手段として考えたものであつて、Aの殺害と同一の機会になされてはじめてそれ相応の満足を、被告人に与え得るものであつたことも明らかである。もしはじめからAがいないことがわかつておればはたして被告人はあの時財物奪取のためにのみ本件犯行現場へ行つたであろうか。むしろこれを否定するのが相当であろう。かくして被告人は退職金にあてるための財物奪取ということを頭のすみに置きながらも、あくまでAの殺害ということをこそ最大最重要の目的として本件犯行現場に赴いたのであつて、同人の殺害という大目的に比較して財物奪取の目的は被告人の心中においてその占める比重があまりにも小さく、ともすれば前者の陰に隠れがちであつたろうことは容易に推察することができる。しかもいざ現場に踏みこんでみれば事態はあまりにも被告人の予期に反しており当の殺害の目的であるA並びにその妻Bの姿はぜんぜんそこに見当らず、予想すらしなかつたE及びFの二名のみが驚いて室内に立つているのである。被告人がこの予想外の事態を認識したのは居室のガラス障子を開けた瞬間であつて、いまだ強盗その他の財産犯の実行に着手する以前のことというべきであるところ、その後被告人は前記認定のごとき経過ないし動機のもとにEを殺害するに至つたもので、この間の被告人の行動はそれまで被告人が頭のすみに持つていた財物奪取の目的とは関係のないあらたに認識された予想外の環境の上に基盤を置く意思活動の所産とみるべきものであり(犯意の中断)、Eに対する右加害行為自体の中に強盗罪の実行の着手をとらえることができない。従つて、同女に対する殺人は強盗の身分を有しない者の殺人行為として単純殺人罪として論じるよりほかはなく、冒頭に述べた検察官の主張は採用することができない。

次にEを殺害後被告人が現場より逃走すべくその資金にするためあらためて財物奪取を決意するに至つたことは前掲各証拠を綜合するとき明らかであつて、特に同女殺害後Fを姦淫する前に恐怖のあまり無抵抗の状態にあつたと認められる同女に対し「金はないか」ないし「金はどこにあるか」という趣旨のことを尋ねたことは被告人が差し戻し前の第一審ないし当審を通じて一貫して供述するところであり右供述は真実とみられるから、右発言がなされたさいのその場の状況によりみて右発言によりすでに被告人は強盗罪の実行に着手したものというべきであり、その後に行われたFに対する強姦及び殺人につき被告人はそれぞれ強盗強姦及び強盗殺人の刑責を負うべきことは当然である。

最後に被告人はFに対しては殺害するつもりはなく、殺害するつもりならば首など締めたりはせず所携の刺身庖丁で刺し殺したであろう、と主張するのであるが、被告人は、逃走を安全にするため、恐怖のあまり身動きすら満足にようしないFが「知らさないから手をくくつてくれ」と言うのにもかかわらずその首に手拭を巻きつけ締めつけようとし、それが切れるやすぐさまそばにあつた電気こたつのコードを一重巻きにし、同女がぐつたりするまで力強く首を締めつけ、そのまま同女を窒息死に至らしめているのであつて右行為自体に被告人のその後の言動をもあわせ考えるとき、被告人は同女を殺害する決意をして右行為に出たものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為中Eに対する殺人の点は刑法第一九九条に、Fに対する強盗強姦の点は同法第二四一条前段に、同女に対する強盗殺人の点は同法第二四〇条後段にそれぞれ該当するところ、強盗強姦の罪と強盗殺人の罪とは一個の行為で数個の罪名に触れるばあいであるから同法第五四条第一項前段、第一〇条により重い強盗殺人の罪の刑に従い、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから後記量刑に関する判断の欄記載のとおり、強盗殺人の罪につき所定刑中無期懲役刑を選択することとし、同法第四六条第二項本文に従つて他の刑を科さず、たゞ領置してある刺身庖丁一挺(昭和三四年裁領第一九七号の六)は本件殺人の犯行に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号、第二項、第四六条第二項但書を適用してこれを没収することとする。なお、刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従い被告人に訴訟費用の負担をさせない。

(量刑に関する判断)

被告人はAに解雇されたことを冷酷な仕打として恨み同人を殺害して復讐すべく同人方に赴き、その結果本件各犯行を犯すに至つたものであり、その犯行経過自体は判示のごとく惨忍非道を極めまさに極刑に値するものであり、一時になんの罪もない愛娘二人を失つたA夫妻初めその姉妹等の心情は察するに余りあるものがある。そしてAが被告人を解雇するに至つたことは当時の被告人の行状及び解雇に至る経過からみてやむを得ない処置と認むべきであり、この点においてAの措置を非難することはできないが、しかしながら一方一五歳のころから、四年間の年季が明けて一人前の職人になることを将来の唯一の希望として、安い給料に甘んじながらAのもとで働いていた被告人が、判示のごとく一人前の職人になれる寸前わずか一万余円の給料手当を支給されただけで解雇されるに及び、安い給料で働かすだけ働かして一人前の職人にもしてくれず満足な退職金もくれずに解雇されたと憤慨し、主人Aを恨むに至つたその心情は一応無理からぬところがあるというべく、しかも被告人の生育歴、境遇についてはすでに述べたとおりであつて、恵まれない環境に育つたためもあつて情意の円満な発達に欠け、境遇の変化に適応しがたい性格が形成され、そのため解雇の申渡しが被告人に対し意想外に深刻な衝撃を与えたことが被告人の連続二度にわたる自殺未遂というきわめて異常な行動をひき起し、二度目の自殺直後の平静心を欠いた精神状態の下に被告人はその性格の当然の発露とは解しがたい意想外に兇悪な本件犯行を犯すに至つたと認められるのである。なお被告人が本件犯行当時思慮分別の熟しない少年であつたこと、犯行後友人に説得された結果であるとはいえ自首し、その後の拘禁生活の中にあつて信仰の道にはいり本件犯行を悔いて被害者のめい福を祈つていること等をあわせ考えると被告人に情状酌量の余地がないとは言い難く、被告人の生命を奪つて本件犯行の責を負わすよりもむしろ被告人を無期懲役刑に処し、無期の拘禁生活を通じてのざんげの中に自己の罪責の重大さを真に自覚させ、人の生命の尊重すべきを心から実感させ、かくして更生への道をたどらすべきが相当と思料し、あえて無期懲役刑を選択した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 田中勇雄 原田修 岡本健)

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